2014年08月22日
台湾・台東市④旧日本人村・龍田村
6月に添乗補佐で行った台湾の台南市と台東市と台北市のレポートシリーズですが
その時からもうすぐ3ヶ月になり記憶が薄れてきているので一気に書き上げたいと思います!
あと数回お付き合いください
今より約100年前、開発が遅れていた台湾東部に日本本土から移民を募り、
規模の大きな移民村がいくつも作られました
中でもこの龍田村は台東製東株式会社の内地人移民村が作られ、
碁盤の目の区画や当時の雰囲気がほぼそのまま残されているそうです
ここは新潟県からの移民が多かったとか。
(高台から見た龍田村)
今回はその中でも当時鹿野(ルーイェ)神社があった崑慈堂と、
その中にある龍田文物館を訪れました「
入口は開放されていて、地元のおじさん達が涼んでいる以外はほぼ人もおらず、
とても静かでとても長閑でした。
神社跡ということで一応狛犬も
崑慈堂の中は一般的な台湾の神社よりも簡素なつくりでしたが、
その隣は当時使っていた道具などが展示されている龍田文物館
現在は台座しか残っていないという鹿野(ルーイェ)神社ですが、
今後鳥居や神社が本格的に復元されることがちょうどこの訪問の10日ほど前に決まっていたそうです
日本統治時代の神社が台湾で復元されるのはこの鹿野(ルーイェ)神社が初めてだそうです
あの長閑な村にどんな神社が建っていたのか、完成したらもう一度行って確かめたいなと思います
この雰囲気もこれはこれでいいなと思いますが
海外の個人旅行も旅の漫遊へ!
その時からもうすぐ3ヶ月になり記憶が薄れてきているので一気に書き上げたいと思います!
あと数回お付き合いください
今より約100年前、開発が遅れていた台湾東部に日本本土から移民を募り、
規模の大きな移民村がいくつも作られました
中でもこの龍田村は台東製東株式会社の内地人移民村が作られ、
碁盤の目の区画や当時の雰囲気がほぼそのまま残されているそうです
ここは新潟県からの移民が多かったとか。
(高台から見た龍田村)
今回はその中でも当時鹿野(ルーイェ)神社があった崑慈堂と、
その中にある龍田文物館を訪れました「
入口は開放されていて、地元のおじさん達が涼んでいる以外はほぼ人もおらず、
とても静かでとても長閑でした。
神社跡ということで一応狛犬も
崑慈堂の中は一般的な台湾の神社よりも簡素なつくりでしたが、
その隣は当時使っていた道具などが展示されている龍田文物館
現在は台座しか残っていないという鹿野(ルーイェ)神社ですが、
今後鳥居や神社が本格的に復元されることがちょうどこの訪問の10日ほど前に決まっていたそうです
日本統治時代の神社が台湾で復元されるのはこの鹿野(ルーイェ)神社が初めてだそうです
あの長閑な村にどんな神社が建っていたのか、完成したらもう一度行って確かめたいなと思います
この雰囲気もこれはこれでいいなと思いますが
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