2013年01月07日
アジアン・カオス④
歯科医院が多かった東頭村道という通りは、比較的日当たりがよく
大通りに面していたことから最も地価が高いところでした。
(もっともビルの周りには木造バラックが建ち並んでいたため、そのバラックが撤去された後日当たりがよくなったようです)
このように日当たりや諸々の条件で、同じ城内に住むにも値段は色々でした。
窓がない部屋、日当たりがまったくない部屋は普通だったと言います。
しかし城内には町内会もありましたし、青少年センター・老人ホーム、幼稚園から、
小学校や中学校にあたる施設までありました。
城内は治安が悪かったと言っても、こういう施設があったように普通の人も暮らしていたみたいですね。
城内に住んでいる悪い人も、住民には悪さをしなかったそうと言う話もありました。
九龍城は事実お城ではありませんでしたが、城主と呼ばれる人もいたとか。
(清朝の役人が駐留していたころの、役人の子孫が代々なるそうです。)
一つの社会みたいですね・・・
ちなみに1984年英中共同声明が調印され、香港警察が入り、定期的に巡回が行われていたそうで、
中国政府の要人も視察に訪れたりと、治安はそう悪くはなくなっていたそうです。
その後1987年香港政庁が九龍城砦の取り壊しを行う方針を発表、
住民は一部が団結し抵抗していましたが、
1993年に取り壊し工事が開始されます。
現在では跡地が九龍寨城公園となり、公園内の資料館には
軍事要塞時に使われていたであろう大砲などが保管されています。
(この大砲は九龍城解体時に発見されました。解体前は老人ホームの入り口に置かれていました)
この九龍城、スラムと呼ばれたりもしていますが
わたしはすごく惹かれます。
一方では違法行為が行われ、衛生環境は最悪、治安もあまりよろしくない、
一方では普通の住民も暮らし、幼稚園から老人ホームまであり、住民は団結して自警団を組む。
こんなやりたい放題の城内ですが、めちゃくちゃなようでも秩序はある。
一説では城内の治安はあまり悪くなかった、ということも言われています。
どこの法治権も及ばない、ということは城内で行われた犯罪に対してのリアクション(報復や制裁など)も法外であってもおかしくない、という理由からだそうです。
住民が団結して自警団を組み、「盗人の手足を斬り取れ」なんて落書きがあったり。
様々な要素が共存し、混沌としているのに、絶妙なバランスでそこにあった。
人間の営みが露わに感じられ、雑多で退廃的。
すべてが詰め込まれているように思えてなりません。
取り壊されてなかったら、男性のふりをしてでも行ったと思います。
(女性は危なくて住民以外入れなかったそうです)(ふりをしてもばれそうですが)
事実取り壊される前には、その特異な存在のためかメディアによく取り上げられ、
ツアーなどもあったみたいです。
どの国の手も届いていなかったコンクリートの塊の中、すごく気になりますもんね!
行かれた方いますか?
いまは無き九龍城ですが、世界には似たようなところがいくつかあると聞きました。
そのいくつかが九龍城のように取り壊されてしまう前に、ぜひ行ってみたいですね!
写真:九龍城砦探検記
引用:九龍城砦探検記,wikipedia
大通りに面していたことから最も地価が高いところでした。
(もっともビルの周りには木造バラックが建ち並んでいたため、そのバラックが撤去された後日当たりがよくなったようです)
このように日当たりや諸々の条件で、同じ城内に住むにも値段は色々でした。
窓がない部屋、日当たりがまったくない部屋は普通だったと言います。
しかし城内には町内会もありましたし、青少年センター・老人ホーム、幼稚園から、
小学校や中学校にあたる施設までありました。
城内は治安が悪かったと言っても、こういう施設があったように普通の人も暮らしていたみたいですね。
城内に住んでいる悪い人も、住民には悪さをしなかったそうと言う話もありました。
九龍城は事実お城ではありませんでしたが、城主と呼ばれる人もいたとか。
(清朝の役人が駐留していたころの、役人の子孫が代々なるそうです。)
一つの社会みたいですね・・・
ちなみに1984年英中共同声明が調印され、香港警察が入り、定期的に巡回が行われていたそうで、
中国政府の要人も視察に訪れたりと、治安はそう悪くはなくなっていたそうです。
その後1987年香港政庁が九龍城砦の取り壊しを行う方針を発表、
住民は一部が団結し抵抗していましたが、
1993年に取り壊し工事が開始されます。
現在では跡地が九龍寨城公園となり、公園内の資料館には
軍事要塞時に使われていたであろう大砲などが保管されています。
(この大砲は九龍城解体時に発見されました。解体前は老人ホームの入り口に置かれていました)
この九龍城、スラムと呼ばれたりもしていますが
わたしはすごく惹かれます。
一方では違法行為が行われ、衛生環境は最悪、治安もあまりよろしくない、
一方では普通の住民も暮らし、幼稚園から老人ホームまであり、住民は団結して自警団を組む。
こんなやりたい放題の城内ですが、めちゃくちゃなようでも秩序はある。
一説では城内の治安はあまり悪くなかった、ということも言われています。
どこの法治権も及ばない、ということは城内で行われた犯罪に対してのリアクション(報復や制裁など)も法外であってもおかしくない、という理由からだそうです。
住民が団結して自警団を組み、「盗人の手足を斬り取れ」なんて落書きがあったり。
様々な要素が共存し、混沌としているのに、絶妙なバランスでそこにあった。
人間の営みが露わに感じられ、雑多で退廃的。
すべてが詰め込まれているように思えてなりません。
取り壊されてなかったら、男性のふりをしてでも行ったと思います。
(女性は危なくて住民以外入れなかったそうです)(ふりをしてもばれそうですが)
事実取り壊される前には、その特異な存在のためかメディアによく取り上げられ、
ツアーなどもあったみたいです。
どの国の手も届いていなかったコンクリートの塊の中、すごく気になりますもんね!
行かれた方いますか?
いまは無き九龍城ですが、世界には似たようなところがいくつかあると聞きました。
そのいくつかが九龍城のように取り壊されてしまう前に、ぜひ行ってみたいですね!
写真:九龍城砦探検記
引用:九龍城砦探検記,wikipedia
Posted by カモ at 14:45│Comments(0)
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