2013年01月07日
アジアン・カオス①
これからいろんな各国の魅力をこのブログでお伝えしようと思うんですが、、、
第一回目は「アジアン・カオス」
何のことだかわかりますか?
場所は香港。
九龍寨城公園というところに、「東洋の魔窟」と呼ばれる城砦がありました。
ここで先にこの城砦がどういう経緯で建てられたのか軽くご紹介します。
(歴史がすこぶる苦手な方は次の記事からどうぞ!)
かつては香港沿岸の海賊から守るため、軍事要塞として建てられました。
その後イギリスと清国(当時の中国王朝)の間でアヘン戦争が勃発。
1841年、戦争が終息し英清間で南京条約が結ばれ、清国はイギリスに香港島の割譲を認めました。
(ここまではたぶんご存知の方も多いと思います!)
ですが、1898年の租借条約の中でも九龍城は租借地から除外されました。
そのため引き続き清国の役人が九龍城に駐留していたのですが、
ある時お祝い事か何かで役人が爆竹を鳴らしたことが「イギリスの軍事行動の妨げになる」という理由で
九龍城を追放されてしまいます。
ですが、イギリス領から除外されている九龍城。
イギリスが接収することはできませんでした。
そしてこのまま1911年の辛亥革命にて清朝は滅亡します。
辛亥革命後に樹立した中華民国の九龍城管理は、イギリスからの抗議があり行えませんでした。
しかしイギリスが管理しようとしても、中華民国側からの抗議により行えませんでした。
そのまま1941年に旧日本軍が香港を占領することになります。
旧日本軍が占領するにあたって、英中の九龍城施設管理の交渉は中断されました。
(日本は租借条約を結んでいないのでしがらみが何一つないため、九龍城内に入ることができたらしいです)
その後1945年に第二次世界大戦が終息を向かえ、香港は再びイギリスの植民地となります。
そして戦後の1966年、毛沢東による文化大革命が起こります。
ここまで歴史をざっとご紹介しましたが、つまるところ九龍城とは何なのか!!!
次の記事でご紹介します!
第一回目は「アジアン・カオス」
何のことだかわかりますか?
場所は香港。
九龍寨城公園というところに、「東洋の魔窟」と呼ばれる城砦がありました。
ここで先にこの城砦がどういう経緯で建てられたのか軽くご紹介します。
(歴史がすこぶる苦手な方は次の記事からどうぞ!)
かつては香港沿岸の海賊から守るため、軍事要塞として建てられました。
その後イギリスと清国(当時の中国王朝)の間でアヘン戦争が勃発。
1841年、戦争が終息し英清間で南京条約が結ばれ、清国はイギリスに香港島の割譲を認めました。
(ここまではたぶんご存知の方も多いと思います!)
ですが、1898年の租借条約の中でも九龍城は租借地から除外されました。
そのため引き続き清国の役人が九龍城に駐留していたのですが、
ある時お祝い事か何かで役人が爆竹を鳴らしたことが「イギリスの軍事行動の妨げになる」という理由で
九龍城を追放されてしまいます。
ですが、イギリス領から除外されている九龍城。
イギリスが接収することはできませんでした。
そしてこのまま1911年の辛亥革命にて清朝は滅亡します。
辛亥革命後に樹立した中華民国の九龍城管理は、イギリスからの抗議があり行えませんでした。
しかしイギリスが管理しようとしても、中華民国側からの抗議により行えませんでした。
そのまま1941年に旧日本軍が香港を占領することになります。
旧日本軍が占領するにあたって、英中の九龍城施設管理の交渉は中断されました。
(日本は租借条約を結んでいないのでしがらみが何一つないため、九龍城内に入ることができたらしいです)
その後1945年に第二次世界大戦が終息を向かえ、香港は再びイギリスの植民地となります。
そして戦後の1966年、毛沢東による文化大革命が起こります。
ここまで歴史をざっとご紹介しましたが、つまるところ九龍城とは何なのか!!!
次の記事でご紹介します!
Posted by カモ at 11:57│Comments(0)
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